6. 旅館の女主人はなぜ「おかみさん」と呼ばれる?  ≪ 日本のかみさま ≫

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☆1  “ My wife ”

「おかみさん」というのは、「奥さん」という意味の古いことばで、今でも旅館のおかみさんだけでなく、すもう部屋のおかみさん、落語家のおかみさんなど、伝統的な世界で使われています。

 アメリカのTV映画「刑事コロンボ」の中で、「my wife」という言葉を「うちのかみさん」と翻訳したので、若い人の間で新しいイメージで使われたこともありましたが、今はもうあまり使われていないようです。

コロンボ警部

 なぜ「刑事コロンボ」の中で「うちのかみさん」という言葉が使われたのでしょうか。日本では「my wife」と言いたい時、1つの決まった言葉がないのです。現在は「my wife」のことを、大体70代80代の夫は「うちの家内」、50代60代の男性は「うちの女房」、20代~40代の男性は「うちの」のようにいろいろ言っています。コロンボ警部にはどれがいいかと迷って、結局「うちのかみさん」になったのでしょう。

 なぜこのようにいろいろな言い方があるのかというと、江戸時代までは身分や職業によって違う語が使われていて、1つのニュートラル(neutral) な言葉がなかったからです。明治時代以後どんな言葉が良いか皆模索しながら使っています。

(相手の「wife」は「お宅の奥さん」です。)

 

☆2 なぜ「うちのかみさん」?

 「うちの奥さんはいつもは優しくて穏やかだけど怒ったら怖い。まるで山の神様みたいだ」といって、妻のことを「うちの山の神」とか「おかみさん」という言い方は古くからありました。自然崇拝の対象として身近な「山」は神聖な神さまが宿っている所です。昔のおとぎ話の中に出てくるような「山の神さま」は、豊かな緑を育ててくれたり果物を実らせてくれたり、優しい穏やかな神様ですが、時々嵐や洪水、地震などをもたらします。そのような時は、「山の神さま」が怒ったといって恐れました。やっぱり奥さんは「山の神さま」みたいです。

(私が若い頃1970年代には、自分の奥さんのことを「うちの山の神がうるさいから~」とか、お年寄りの男性が実際に言っているのを聞いたことがあります。)

 

☆3 「かみさま」は「うえの方にいる人」

 上下を表す「やまとことば」として、「うえ・した」と「かみ・しも」があります。

 「うえ・した」は垂直の上下ですが、「かみ」は「うえの方」、「しも」は「したの方」という意味で、もともとのイメージは「川のうえの方(上流)」が「かわかみ(川上)」、「川のしたの方」が「かわしも(川下)」という感じです。「かわかみにのぼる」「かわしもにくだる」という表現もあります。他にも「かざかみ(風上)」「かざしも(風下)」、「かみがた(上方、京都のこと)」、「かみざ(上座)」「しもざ(下座)」、「かみて(上手)」「しもて(下手)」、「かみしも(裃)」などがあります。「うえの方にある毛」は「かみの毛」で、後に漢字では「髪(の毛)」と表したので「かみ(上)の毛」という意味がわからなくなってしまいました。

 そのように「人間の上の方にあるもの」のことを「かみ」だと言ったのです。それで、「人間の力を超えた神聖なもの」「自然の偉大な力」を表す時、「山のかみさま」「大樹のかみさま」「太陽のかみさま」「泉のかみさま」「川のかみさま」「海のかみさま」のように言いました。「やおよろず(八百万)のかみさま」です。

 キリスト教が入って来る前のローマ神話に似ています。

 ですから、「かみさま」は「台所のかみさま」「柔道場のかみさま」など、いろいろな所でその場所を守っている神聖な存在(spirit、精霊)です。日本のスポーツ選手が道場に入っていく時も出て行く時もそこの「かみさま」に礼をしたり、競技場に入る時も出る時も頭をさげるのをTVで見ることがあります。そこに宿っている「超人間の存在」に敬意を表するということです。

 

☆4 人間も「かみさま」に

 人間でも一般の人間より飛びぬけて立派な人は、死んだら「かみさま」になることがあります。例えば「東郷神社」や、菅原道真の「天神様」、徳川家康は「東照宮」に祭られています。

 生きている人でも「普通の人よりずっと上の方にいるような素晴らしい人」は、例えば「映画のかみさま・黒澤明」「漫画のかみさま・手塚治虫」「アニメのかみさま・宮崎駿」のように言われます。

 

☆5 「コッホ神社」

 北里柴三郎がドイツに留学していた時、ドイツの医学者コッホに大変お世話になり尊敬、敬愛していました。北里柴三郎は日本に帰ってから、北里研究所の中に小さな祠(ほこら、2m四方くらい)を作って「コッホ神社」と名づけ毎日お参りしていたそうです。その話をドイツ人が聞いたらしく、「コッホは日本でGodになった」という新聞記事がドイツで出ました。ドイツの人はびっくり。日本では普通の人より特別すばらしい人を尊敬し敬愛心を忘れないためにお社を作って礼拝するのですが、これが一神教の神様とまったく違うところです。「かみさま」という言葉を「God」と訳すととんでもない誤解を生んでしまいます。

 下の写真は東京、新宿駅の近くにある小さな祠です。このような祠だったのでしょうか。

小さい祠
 

☆6 一神教の神

 一神教(キリスト教、イスラム教)の神様は、天地すべてを創造した唯一神です。一神教が生まれたのは全世界でアラビア半島あたりだけで、他はほとんど自然崇拝でした。アメリカの先住民族(Native American)も、ヨーロッパもキリスト教が入ってくるまでは自然崇拝でした。ローマ神話でもわかります。イギリスでは今でもキリスト教とはちがう世界の「ピーターパン」や「ハリーポッター」の世界に根強い人気があります。

 なぜ現在、宗教と言えばキリスト教、イスラム教のことを考えるのでしょうか。一神教は、自分達の神だけが「正義」だと考えるので、他の宗教を滅ぼしても自分たちの勢力を拡大しようとしました。イスラム勢力は、8世紀から西へはアフリカ北岸を西へ進み遂にはスペインまでも侵攻し、東はインドネシアあたりまで勢力を広げました。キリスト教は、もともとは今のイスラエルあたりから始まりましたが、ヨーロッパだけでなくアジアなど他の地域まで出かけて行って(貿易利益とともに)強い意志で布教しようとしました。そのため強力なパワーを感じさせ「宗教」といえば一神教を考えるようになってしまいました。

自然崇拝は、そこにあるものを崇拝するので外へ広めようという気はありません。

 

☆7 キリスト教の「かみさま」?

 16世紀日本に初めてキリスト教が入ってきた時、ザビエルたちカトリックの宣教師たちはキリスト教の神様のことを「デウスさま(ラテン語から)」と言っていて、日本の「かみ様」と区別していました。

 江戸時代はキリスト教は禁止されていましたが、明治時代になって又キリスト教が入ってきた時、プロテスタントの人達は、日本人にわかりやすく、なじみやすいようにということで、日本の神様の「かみさま」という言葉をキリスト教の「God」の訳語にしてしまったのです。それで、「かみさま」=「God」という誤解が生まれて、よくわからなくなってしまいました。 (*)

 日本の「かみさま」は「普通の人とはちがうスーパー超偉いすごい存在」ということなので、そこにもここにもあそこにも「かみさま」は存在しているのです。一神教の神様とは全く違うものです。

 

ひとことで言うと

 奥さんのことを「いつもは優しくて穏やかだけど、怒ったら怖い山の神様みたい」ということで「山のかみ」「おかみさん」というようになり、今でも伝統的な世界(和風旅館、すもう部屋など)で使われています。日本の「かみさま」は「うえの方にいる普通の人間の力を超えたすごい存在」という意味。

 

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*『英語の語源』 渡部昇一 講談社現代新書 1977年

* ちなみに

英語の「God」という言葉も、もとはイギリスの土着の神様の名前だったのに、ローマからキリスト教が入ってきた時、キリスト教の神様の訳語として「God」を使ってしまったので、今では「God」はすっかりキリスト教の神様のことを表すようになり、もともとのイギリスの神様のことを表す言葉がなくなってしまった、ということです。