現在「います」の尊敬語は「いらっしゃいます」と習っているので、「社長はおられますか?」は間違いだと感じる人がいます。大体、東日本の人です。西日本では普通に一般動詞として「おります」を使い、「おります」の尊敬語として「おられます」を使っています。
☆1 「いる」と「おる」-「糸魚川ー浜名湖線」
「いる」「おる」に関しては、
「糸魚川―浜名湖線」の東の地方では「いる」が主流(方言地図の黄色い部分)、
西の地方では「おる」(方言地図の緑の部分)がよく使われています。
方言地図
『方言の読本』(小学館)より(*1)
古くは「あり」が「存在一般」を表す動詞で、現在も和歌山県などに残っているそうです(方言地図の赤い部分)。
・「大きな庭がある」
・「子供が3人ある」
等です。
「いる」「おる」は元々「座っている」という意味
「居ても立ってもいられない」「立ち居振る舞い」などの表現に残っています。それがしだいに「存在」をあらわす「ある」と同じように使われるようになり、「人」には「いる、おる」、無生物には「ある」と区別して使われるようになりました。
(韓国語では人と無生物の区別はありません。)
☆2 明治時代の「統一日本語」
明治時代、東京が首都になり、新しい「統一日本語」を作らなければならなくなりました。江戸時代までは、武士、町人などの身分によっても、また地方によっても、様々な違う言葉を使っていました。青森と鹿児島の人が出会ったら言葉が通じないということが実際にあったのです。
よく挙げられる例ですが、井上ひさしさんの『国語元年』という戯曲では、明治の初めいろいろな地方の様々な身分の人達が一つの家の中で繰り広げる日本語の混乱と、統一日本語を作ろうとする人々の奮闘ぶりがおもしろく描かれています。どうすれば皆がわかりあえる「標準日本語(共通日本語)」を作り出すことができるだろうかと一生懸命考えました。
そして、大体東京の「山の手」のことばを元にして京都や他の地方のことばも適当に合わせて、新しい日本語を作ろうといろいろ工夫しました。(*2)(*3 )
明治時代に「統一日本語」として、例えば
・ 英語の一人称( I )、二人称 ( you )、三人称 ( he, she ) に対応するニュートラルな日本語を決めようとして、結局「わたし」「あなた」「彼、彼女」になりました。
・ 方向を表す助詞は「京へ 筑紫に 坂東さ」と言われたように、京都では「お寺さんへ参ります」、北九州では「海に行こう」、関東・東日本では「どこさ行く?」のように使われていました。この場合はその中の「京都」の「~へ」が採用されましたが、今でも「~に行きます」という人もいます。「~に」も間違いではなく便宜上「~へ」にしましょう、と決めただけです。
・「いる」「おる」については、東日本と西日本にきれいに分かれているので、特に敬語表現の時どちらを使うかが問題になりました。「います、いらっしゃいます」を使うか、「おります、おられます」の方を使うのか、考えた末に折衷案として、一応
. ・ います (ニュートラル)
. ・おります (謙譲語、うち)
. ・ いらっしゃいます (尊敬語、よそ)
というセットで折り合いました。
今は、日本語学習者にもこのセットで教えています。 (*4)
☆3 西日本の「おられる」
「標準語」としては「います(ニュートラル)、おります(うち)、いらっしゃいます(よそ)」のセットでいいのですが、このセットを教えられて育った人たちは、西日本の人が「おります」を普通の一般動詞として使ったり、尊敬語として「おられます」を使うと「間違いだ」と思うようになってしまいました。
実際の小説や西日本出身の作家が書いたものには尊敬語の「おられる」が多く出てきます。テレビやラジオでも西日本出身の人は普通に使っています。
「日本昔ばなし」などの中では
―「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでおった」
のように「おる」を使うと昔風の感じが出ます。
また、江戸時代までの武家の社会では、東日本でも「殿はどこにおられるか」のように「おられる」が使われ、「いらっしゃる」は使われていませんでした。
☆4 「いらっしゃる」はどこから出てきたのでしょうか?
・ 京都の「公家(くげ)ことば」では、「あらっしゃる、いらっしゃる、ならっしゃる、おっしゃる」などが使われていました。宮尾登美子さんの『東福門院和子(まさこ)の涙』や、林真理子さんの『正妻―慶喜と美賀子』などの本を読んでみると、江戸時代の宮中ことばの雰囲気がよくわかります。
・ 田辺聖子さんの『姥ざかり、花の旅笠』という本は、江戸時代北九州の商人のおかみさん達が本州へ旅をする話なのですが、その中には「いられる、おられる、いらっしゃる、おらっしゃる、行かっしゃった、おっしゃる」などの表現が出てきます。
・ 梅原猛の『隠された十字架』の中には、「~薬師如来も同じ台座にのっていられるのを見ると~」のように「いられる」という表現もつい最近まで使われていました。
☆5 「いらっしゃる」の使い過ぎ
いずれにせよ、明治時代、東日本の「います」と西日本の「おります」をミックスして、「います(ニュートラル)、おります(謙譲語)、いらっしゃいます(尊敬語)」を「標準語」として採用したのですが、最近若い人の「いらっしゃいます」の使い過ぎが気になります。ていねいに言わなければいけないと思うあまり、誰にでもいつでも「いらっしゃいます」を使ってしまう人が多いようです。ニュートラルの時まで「いらっしゃいます」を使うのは「バカていねい」になってしまいます。
ひとことで言うと
明治時代に「統一日本語」を決めなければならなかったので、「標準語(共通語)」として「います(ニュートラル)、おります(謙譲語、うち)、いらっしゃいます(尊敬語、よそ)」のセットを作りました。一応「いらっしゃる」を尊敬語として決めましたが、今でも西日本では「おります(ニュートラル)、おられます(尊敬語)」がよく使われていて間違いではありません。
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*1 『方言の読本』 監修 佐藤亮一 小学館 1991年
『生きている日本の方言』 佐藤亮一 新日本出版社 2016年
・糸魚川・浜名湖ラインから、東の地方では「イル」85%、「オル」15%、西の地方では「イル」9%、「オル」91%。 「方言大学」公開講座 第6回「いる」と「おる」より
・西日本の「オル」地域の中でも、北九州と京都では「イル」が多く、韓国語の影響など歴史的要因も考えられます。
*2 『国語元年』 井上ひさし 中公文庫 2002年
*3 『日本語を作った男、上田万年とその時代』 山口搖司 集英社インターナショナル 2016年 (円地文子は上田万年の娘)
*4 新宿日本語学校では「謙譲語・尊敬語」という言い方をしないで「うち・よそ表現」として教えています。