14. なぜ日本のサラリーマンは皆同じようなスーツを着ている?  ≪ 嫉妬心 ≫

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「出る杭は打たれる」という諺があるように、日本では個人が一人だけ目立つのは好まれません。

サラリーマンの通勤風景  東京駅 丸ノ内北口前
 

☆1  個人より集団が好き

・  一人で走るマラソンより、何人かでタスキをつなぐ「駅伝」の方が好きという人が多い。毎年お正月の2日と3日、大学生の「箱根駅伝」があり、多くの人がテレビ中継に釘付けになります。「箱根駅伝」以外にも、「都道府県別対抗駅伝」など、駅伝は冬のスポーツとして大変人気があります。

・  オリンピックの個人100m走より400mリレーの方に感動してしまいます。

・  ある会社で新しいアイディアを募集して、いいアイディアを出した人には報奨金を出すことにしました。個人で募集したら、出す人はなし。個人で良いアイディアを出して、もし報奨金をもらったら他の人から妬まれると思って、誰もアイディアを出さなかったのです。それでグループや課単位で出してもいいことにしたら、どんどん出てきました。皆で報奨金をもらったら、みんなで飲んだり食べたりして楽しめるからです。一人だけ飛び出るのは嫌がられます。

なぜでしょう?

 

☆2  なぜ集団の方がいい?   — 集団で米作り —

「8. 日本人はどこからやって来た?」で著したように、「第3の波」で農耕民が日本にやってきて、日本の気候風土にあっていたので、米作りが日本の主産業になりました。江戸時代まで米が「税」として集められたので、権力者にとって、米を「お上(おかみ)」に納める農民は「良い人」、山の民など狩りをして米を作らない人は「悪い人」、と決めつけました。仏教の教えを借りて「動物を殺してはいけない」ということにして、なるべく山で狩りをするのではなく、里で米を作れと教育しました。「米を作るのが良いことだ」「集団で皆で同じことをするのが良いことだ」と教えたのです。(*1)

昔ながらの田植え

江戸時代は人口の約85%が農民でした。

「山の民」(狩猟生活者)や、漁業で暮らしている人達は、個人の「能力」「勇気」「決断力」が大いにものをいいます。しかし米作りに特別な能力や勇気は必要ありません。毎日真面目にこつこつ働いて他の人と一緒に協力して、田植え、稲刈りをするべきだ、ということです。このような社会では生まれつきの特別な才能というものは認められにくく、誰でも一生懸命がんばれば大体何でもできる、と思っている人が多いのです。米作りは男女差もあまりありません。特別な勇気をもった強い男性も必要ではなく、必要なのは老人の経験に基づいた「知恵」でした。 (*2)

 お祭りや村の行事も皆が協力しての共同作業です。皆と同じことをやっている限りは、村の社会は皆で助け合う暖かい人間関係があり、暮らしやすい社会です。しかし、自分だけこれはやりたくないと思っても、一人だけ好きなように勝手にすることはできません。個人の自由はないのです。他の人と違うことをするのは許されず、そんなことをすると、村社会から外され村で生きてゆくことはできませんでした。

 

☆3  日本は「危機感のない社会」

・「危機感のある社会」では有能な個人が必要:

 新しい会社とか、つぶれるかもしれないような危機感のある会社では、生き延びていく能力のある人が必要です。有能な人を妬んでいる余裕はありません。有能な人がいないと会社全体がつぶれてしまうのですから。

 例えば、昔の「出エジプト記」の「モーゼ」はリーダーの代表としてよく出されますが、その集団の将来はその人の能力にかかっています。

 日本では16世紀の戦国時代が「危機感のある」時代でした。「真田丸」で有名になった真田昌幸(さなだまさゆき)はその代表です。相手をだましても裏切っても、とにかくそのリーダーの優れた能力をフルに活用して集団として生き延びていかなければなりません。戦国時代の「信濃の国」ではリーダーが無能ならすぐその集団はつぶれてしまいました。しかし、、、

・「危機感のない社会」では有能な人は不要: 

 「公務員」「大会社」あるいはずっとそこに存在している「村社会」では、つぶれる可能性はほとんどありません。

 危機感のないお役所などでは、今までと同じように無難にボチボチやっていくことが大切で、特別な能力はいりません。特別なことはしない方がいい。誰か一人特別なことをして出世して目立つと、他の人から妬まれて足をひっぱられます。そういう人は結局やめていくことになります。仲良くやっていく協調性の方が大事で、有能な人は不要なのです。

 

☆4 「嫉妬心」

 「嫉妬」という感情は誰にでもあるものですが、「危機感のある社会」では「嫉妬心」を抑えて有能な人の能力に頼らなければなりません。

 一方「危機感のない社会」では、有能な人は必要ないので「嫉妬心」がそのまま出てしまうということになります。日本は「危機感のない社会」がほとんどなので、目立つ人や有能な人に対してストレートに「嫉妬」の感情が強く出る社会です。「皆が同じでなければならない」のです。「悪平等」ともいわれます。外見がかっこよくて目立つ人なども妬まれやすいので、特に謙虚にするよう気をつけなければなりません。「謙虚に」も日本の社会では大切なキーワードです。

 

ひとことで言うと

 つぶれる可能性のない「危機感のない」大会社のサラリーマンや公務員は、他の人から妬まれないように、足を引っ張られないように、目立たないように、他の人と同じようなスーツを着ています。

 

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*1 「山の民」というのは主に先住民たちで、「山人(やまびと)」あるいは「山窩(さんか)」と呼ばれていました。独自の文化を持って山の生活をしていましたが、江戸時代の初めにお上に従わない者たちとして多くが滅ぼされてしまいました。 

 山窩については、柳田國男が、明治末・大正時代まで大阪辺りに15000人くらい、東京にも少なからず末裔がいたという調査報告をしています。

 柳田國男 「山人外伝資料」1913年、「山人考」1917年

 

*2 江戸時代は生まれてから死ぬまでほとんど一生同じ村で暮らすので、皆お互いのことをよく知っています。特に大きな声で自分の気持ちを説明しなくても、毎日まじめに働いていれば、村の人々から認められるようになるので、なるべく話をしない方が美徳とされました。いろいろ話をすると、ひとの噂話になったりトラブルのもとになるので「沈黙は金」。これが日本人の表現力のなさ、コミュニケーション能力の低さに繋がっています。