18.なぜ妻がさいふを握っている? ≪日本の男と女の関係≫

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  例えば、アメリカ人は、日本では妻がさいふを握っているということを知ると驚きます。

日本の女性は、一家の母親が家計費を管理しているのを当たり前だと思っていますが、アメリカやヨーロッパでは夫が家計費を管理していて、生活費はその都度夫からもらう妻が最近まで多かったと聞くとびっくりします。

現在は夫婦とも外で働いていることが多いので、収入はそれぞれの銀行口座に入りますが、全体の家計は、日本では今でも妻が管理していることが多いようです。(*1)

なぜ?  まず、

☆1  男と女の違いが大きくなるのは

(1)自然が過酷なところ

(2)人間が他の動物を支配しなければならない牧畜社会

(3)戦いの時

この3つです。

 

(1) 熱砂の砂漠や厳寒の地など、自然の厳しい所では「自然のまま」にしていては死んでしまいます。人間が生きていくためには、自然を征服し支配する強い男の力が必要でした。強烈な「一神教」(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の発想を生んだ厳しい自然のアラビア半島あたりは、まさに「男の世界」です。

(2) 牧畜社会で動物を人間の都合のよいように管理していくには、強い男の力が必要でした。油断していると、牛や馬の群れに殺されてしまいます。「やるか、やられるか」の「力」が支配する男の世界で、強い男は、女・こども・家畜(弱い男も)を守る義務と、支配する権利を持つ所有者でした。

(3) 戦士は男しかなれませんでした。

厳しい自然

[ アラブの世界 ] は

(1)自然が厳しく

(2)動物を支配しなければならず

(3)戦いが多かった

というように(1)(2)(3)のすべてがそろっている「男の世界」といえます。「強い男」がいなければ生きていけない世界です。

アラブの男
アラブの女(オマーン)

アラブ世界ということは、今のイスラエルあたりから発生したキリスト教とアラビア半島から出たイスラム教の影響を受けた社会全般ということになります。(*2)

 

 [ 日本 ] は、 その反対で

(1) 自然はおだやか、豊かな自然の中に全ての生きものと共に生かされていると感謝し、何でも自然から学ぶことができる、自然が一番、と思っている。そんなやさしい自然の中では、もし必要なら女性だけでも生きられるような環境

(2)稲作では、イネは人間を襲ってこない

(3)島国で戦争がほとんどなかった

という「強い男を必要としなかった社会」、つまり、「男女差があまりなかった」「男女ほぼ同じ」社会だったということです。

やさしい自然
稲は襲ってこない

☆2 根強い「母系社会」が根底に存在する(古代・農耕・貴族社会)

[ 古代 ]  (男女ほぼ同じ)

 縄文時代(BC10,000年~BC3C)には、ポリネシア、インドネシアなど 南方からの人々が住み着いて、母系社会的要素が強かったようです。南太平洋の島々や東南アジアの人たちになぜ母系社会が多いかというと、日本とおなじように、自然がおだやか、ドーモーな動物がいない等、(1)(2)(3)の条件の反対の所だからです。(*3)

  子供という新しい生命を生み出す女性に神秘的な力を感じ、女性は神に近い存在で、カミと人との間をとりつぐ「みこ」は、女性しかなれませんでした。

  今でも、沖縄地方の小さな島へ行くと、母系社会が色濃く残っており、「男は船に乗り、女は鳥(カミ)になって男を守る」と言われていたのです。

[ 農耕社会 ]  (男女ほぼ同じ)

弥生時代(BC3C~AD3C)には、東南アジアの北部や朝鮮半島から稲作の技術を持っていた人たちが移住してきて、九州地方からしだいに農耕文化が東の方へ広がっていきました。

イネの栽培は、田植えも、草取りも、稲刈りも、男女とも同じようにでき、まじめにこつこつ働けば、男女差はありません。気候はおだやかで、あまり厳しくもなく、また大型動物もいなかったので、強い男の力は必要ではありませんでした。

今では珍しくなった田植え(現在広い田んぼは機械で)

[ 貴族社会 ]  (男女ほぼ同じ)

京都の貴族社会の時代(7C~12C)においても、「武より文」を重んじる宮廷内では、女性文学者の方が多いくらいで、男女差というものはあまりありませんでした。結婚の形態も、男が女の家に通う「通い婚」が一般的で、子供は母親の家で育てられました。

「源氏物語」 貴族の世界

しかし、京都を中心とする貴族社会に対して、東の関東ではしだいに武家(さむらい)の勢力が台頭して来ました。

 

☆3  武家社会(13C~19C)では男中心にしようとした

  「さむらい」というのは、もともと関東地方の開拓農民であり、自分たちが開墾した土地を自分たちで守るため武装した人たちでした。武士が政治の実権をにぎった鎌倉~江戸時代(13C~19C)には、武家の統治者は男中心の社会にしようとしました。(*4)

  「さむらい」というのは、戦う人、戦士なのですから男しかなれません。武家の社会では、男と女ははっきりちがい、戦士になれない女は男の従属物でした。

戦う男たち

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☆4  日本の歴史の中で、男女差が比較的大きかったのは、

「戦国時代」(16C)と

「明治維新(1868年)から明治、大正、昭和20年の敗戦まで」です。

江戸時代(17C~19C)は武家支配の時代なので、「男が上・女が下」の関係が強かったように思われますが、それは武士の世界(人口の約7%)だけで、町人や職人、農民の世界はそうでもありませんでした。「男女の差」よりも「身分の違い」の方が大きかったのです。

しかし明治維新で身分が平等になると、江戸時代よりも男女の上下関係がひどくなりました。なぜかというと、明治維新で権力を握ったのはもと下級武士たちだったので、江戸時代の「武士のルール」を全ての人に押しつけようとしたからです。

明治維新の1868年から1945年の敗戦までが、「男が上・女が下」という、女性にとって最も大変な時代でした。

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☆5  平和な江戸時代 ―「家長」が支配する「家」制度

  実力がなければ生きていけないという「強い男」の時代の戦国時代がおわり、江戸時代(17C~19C)になると、武士たちは戦がなくなり「戦士」たる「さむらい」の出る幕はなし。 すぐに「文人官僚サラリーマン」になってしまいました。

日本では武人や強い肉体をほこる男があまり尊敬されないというのは、「強い男」を必要とする場があまりなかったからです。

[ 「家」制度 ]

   江戸時代、戦がなくなり、武士は官僚・役人の仕事を担っていたので、統治者(幕府や藩の殿さま)は自分の領地の武士に仕事に対する給料(禄)を与えなければなりません。武士人口がどんどん増えると、「禄高(米)」が多くなって困ります。そこで「家」制度を定めて「家」の数を固定し、「家」に対して「禄高(米)」を決めて支給するようにしました。家の数を増やさなければ、幕府や殿様は、いつまでも「家」の数だけに対して給料を与えればいいわけです。

 家の数を増やしてはいけないので、家の「主人」になるのは「家長」だけ。長男があとを継ぎ父親の仕事も継ぐので、常にトップは1人。その他の家族は全員従属者(扶養者)にしました。「家」に属していないと食べていけない。女はもちろん従属者です。男でも二男以下は扶養される側。二男以下は跡継ぎのいない他の「家」に養子に「入る」以外は、「家」の「主人」にはなれません。一生、長兄が家長の「家」に所属し、食べさせてもらうしかなかったのです。

  収入は「家」に対して与えられるので、「家」が主で、個人はその「家」の傘の下に入らなければ生きていけない。そのため「お家」が大事、「所属」が大事、という考えが強くなったのです。

 

☆6  男は外・女は内

  江戸時代は武家が中心の社会なので「たてまえ」としては、世の中のすべてを男の支配下におきたいところでした。しかし、長年の「母系の伝統」があり、また、何もかも男の責任にするときついので、「表」と「奥」(*5)として分け、「男は外、女は内」(*6)で、「奥」の世話は女性担当にしました。そうすれば男は家の中では楽ができます。女の人は家の中のことにはすべて責任を持つので、「家計の管理」や「子育て」は妻の仕事、収入の少ない時はやりくりして子供たちに食べさせなければなりません。

  武士たちは「現実の生活」では、家の中では妻にさいふを握られ、社会的には力を持ってきた商人に経済を牛耳られ、生活は苦しくなる一方。

  仕方がないので「武士たるもの、お金のことなどとやかく言うものではない」「男は主君のため、お家のために働くのであって、お金などという卑しいものは、女と商人に任せておけばよい」という「お金蔑視」の「やせがまんの美学」を作り上げ、武士の子弟にも教え込んだのです。 「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」  (*7)

  そのため、現代でも、男は会社や社会のために働くのであって、お金のためではないと言い、お金のことをはっきり言うのをいやがる傾向は今でも少し残っています。

  このように江戸時代は「たてまえ」と「現実」のギャップが大きくなった時代です。「たてまえ」としては、男が支配者、男と女は上下関係なので、表面上男を「たてて」おくのですが、女の人は家計と子供をにぎっているので、うしろから男をコントロールしているというパターンも多かったのです。

 

☆7  女は「母親」- 男は「子ども」

  子育てが母親の役割とされたので、子供は母親の影響下に育ちます。子供はあたたかい、やさしい母親像を強く植えつけられて育つので、一生母親のイメージを大切にするようになり、結婚しても妻に母親像を求めます。家に帰れば、子供と同じように「おかあさん、ごはん!」となり、世話してくれる人、守ってくれる人に対してゆっくり甘えたいという気持ちを持っています。男はいつまでも「子供の役」をやり、女は「母親役」なので「おかあさん、おこづかい!」となるのも自然です。  (*8)

  日本では、昔の西部劇に出て来るような男が女を守る社会ではなく、「母親」が「子供」を守るという感じです。

  男性が家庭内でdependentで、女性が母性的であるというのは、平和な世界において、ある意味で安定した、おだやかな関係が成り立つこともあります。

しかし、第二次世界大戦後、女性にとって最も大変だった時代の身分的束縛から解放され「たてまえ」も男女平等になって自由を手にした女性たちは、あまりべったり寄りかかられるとうるさくなってきました。

  現在、結婚難の時代といわれていますが、男女間の結婚に対する考え方がちがっているのも原因の1つと思われます。いつまでも妻に母親像を求めて甘えたい男たちに対して、もう少し自立してほしいと思っている女性は多いでしょう。

 

☆8  しかし戦後75年以上経た現代では

夫婦とも外で働くのが当たり前になり、若い男性は戦前に比べるとずいぶん優しくなり、子育ても2人で協力するという夫婦が多くなりました。子供を預ける保育園も増えてきました。現代は現代のやり方を模索しているところでしょう。

 

ひとことで言うと

  「強い男だけが人間(Man)、男以外は従属物」というようなアラブ社会などに比べると、地理的、歴史的に見て、日本では男女の差がほとんどない、比較的女性が強いという平和な時代が多かったのです。武家中心の江戸時代でさえ妻が財布をにぎっていました。

  現在、男女は全く自由になりましたが、根底に伝統的な「母系社会」の影響があり、現在でも家計の管理者は女性の方が多いようです。

―――  *  ―――

*1  私がざっと世の中を見渡した感じでは、大体85%が、妻の方が家計を担当しているように思いますが、あなたの周りではどのくらいだと思いますか?

*2  現在では、キリスト教の代表的な地域はヨーロッパ、アメリカだと思われていますが、そもそもキリスト教はアラビア半島のつけねあたり(現在のイスラエル)で発生したもので、のちにヨーロッパに伝えられたものです。

  ヨーロッパは、キリスト教が伝わる前は、日本と同じ「自然崇拝」でした。ギリシャ神話やローマ神話、ピーターパンやハリーポッターに至るまで、多くのお話が残っています。表面的には中世、徹底的にキリスト教に支配されましたが、昔ながらのその土地の文化が根底にわずかながら残っていて、時々現れてきます。

  習慣についても、アラブ文化の影響を強く受けた例としては「あいさつのキス」があります。「キス」はもともとアラブの習慣で、それがキリスト教とともにローマに入って行った時、ローマの人たちは大きな抵抗感を示したそうです。しかし、それが今では「ハグと頬にキス」はヨーロッパが代表のように思われています。(さらにハグはロシア、中国、北朝鮮にまで及んでいる?)

*3  「8. 日本人はどこからやって来た?」 参照

*4  京都へ行って「文化」を学び、朝廷から官位をもらうため貴族のかたわらに「さぶらって(お仕えして)」いたので、「さむらい」と言われるようになったといわれます。  

*5 「奥方」「奥さん」という言葉はここから出ています。

*6  妻のことを「家内」ともいいます。

*7  明治9~10年(1876~7年)札幌農学校のクラーク博士は、士族の子弟たちの労働と金銭を卑しむ習慣を破るため、学校の農作業場で働かせ、労働に対する正当な報酬として時間給を払ったという話が残っています。

*8  家庭の中での名前の呼び方、については、「13.日本ではなぜ名前を呼ばず「先生」「部長」などと呼ぶ?」を参照