13. 日本ではなぜ名前を呼ばず「先生」「部長」などと呼ぶ?  ≪ タブー ≫  

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 1980年代、日本の中曽根首相とアメリカのレーガン大統領が親しい感じを演出したいため、「ロン、ヤス」と言ったのが有名になりました

 2021年4月、バイデン米大統領と菅首相との初会談後の会見でも、お互いのことを「ジョー、ヨシ」と言っていました。

 日本では菅さんのことを「ヨシヒデ」とか「ヨシ」と言うと大変失礼になり、そもそも下の名前はよく知らない人が多いのです。。

 一般的には誰にでも名字に「さん」をつけて「菅さん」のように言います。日本人の感覚では、普通は「バイデンさん」というつもりで “Mr. Biden” と言いたいところですが、“Mr. Biden”と言うとアメリカではとても堅苦しい感じになります。

アメリカと日本ではずいぶん名前の呼び方の感じに違いがあります。

日本では特に「下の名前」(first name)は親しい人の間以外では使いません。学校では「先生」「校長先生」と言い、会社では「課長」「部長」と呼び、名字 (family name)さえあまり言わないということに気がつきます。

 

☆1 家族の中でも役割名で呼ぶ

 家族の中で個人名を呼ぶのは年上から年下の時だけです。家の中では一番年下の子供「けんちゃん」の目からみて「おとうさん、おかあさん、おばあちゃん、おねえちゃん」という言い方が、そのままその人の「名前」になり、全員がその名前で呼ぶことが多いのです。

例えば、けんちゃんのおばあさんは、けんちゃんのおかあさんのことを「おかあさん」と言ったり、けんちゃんのおねえさんのことを「おねえちゃん」と呼んだりします。夫婦の間でも、夫は妻のことを、子供から見た呼び方で「おかあさん」といい、妻は夫のことを「おとうさん」と呼びます。本当の名前で呼ばれるのは最年少者だけで、他の人はそれぞれ「最年少者から見た役割名」がその人の名前のようになります。

少し前のことになりますが、すもうの若乃花・貴乃花兄弟が若かったころ、若乃花は貴乃花の「おにいちゃん」なので、全国のすもうファンが皆、若乃花のことを「おにいちゃん」と言っていました。

 

☆2 職場でも役割名で呼ぶ

目上の人に対して名前を呼ぶのは失礼になるので、平社員が社長に対して「田中さん」と名前で呼んだら社長はイラっとします。首だー!となるかもしれません。

役職のある目上の人に対しては「社長、部長、課長」というように役職の名前で呼びます。そして、役職は時々変わるので、目上の人に対してはその人の役職名をきちんと知っておかなければなりません。

課長が平社員を呼ぶ時や、平社員同士の時は「佐藤さん」と名字で呼びます。同じ名字の人が2人以上いた場合だけは下の名前で呼ぶことはありますが、職場で「けいこさん」と言ったら二人は特別な関係だと思われ、「けいこ」と呼ぶのは、よほど親しい間柄か恋人か夫婦です。

 

☆3 本名は言わず、場所やまわりのもので言う

・  私が若い頃には、例えば場所の名前を使って「福岡のおじさん」と言っていましたし、ドラマの中では「真砂町の先生」(「婦系図」に出てくる先生)、「八丁堀のだんな」(江戸の同心)、「お玉が池の親分」(人形佐七捕り物帳)などという言い方を聞いていました。

・  江戸時代までの身分の高い人の場合は、場所や建物の名前を使って、「殿様(とのさま)」「奥方様(おくがたさま)」「お館様(おやかたさま)」「北の方様(きたのかたさま)」「上様(うえさま)」「御台所様(みだいどころさま)(正妻のこと)」「帝(みかど、御門)」など、できるだけ本人に近くない、遠いもので表すようにしました。 今でも日本で天皇の名前を知っている人はあまりいません。

 

☆4 本名と通称 - 本名は知らない

 鎌倉時代から江戸時代までの武士の間では、諱(いみな)と字(あざな)という習慣があり(これは中国から入ってきた習慣)、本名(諱、忌み名)はあまり人に言わず、名前を呼ぶときは通称(あざな)で呼んでいました。

 例えば、「勝海舟」の本名は「勝義邦」ですが、知っている人は少ないでしょう。若い時は「勝麟太郎」と呼ばれ、偉くなってからは「安房の守」、自分では号の「勝海舟」と名乗っていました。

 西郷隆盛の場合は「吉之助」か「西郷どん」と呼ばれていました。明治天皇から勲章をもらうことになった時、本人が近くにいなかったので、正式の名前を友達に聞いたら「多分『隆盛』だろう」と言ったので、「隆盛」が西郷さんの名前になってしまったそうです。実はこれは父親の名前で、西郷さんの本名は「隆永」だったのです。

 皆が知らないようなものなら本名は不要ではないかと思うかもしれませんが、本名というのは、西郷さんのように表彰される時とか、死後歴史の中で語られる時など、公にフォーマルな場合に使われるものでした。

 

☆5 なぜ本名を言ってはいけない?

 「名」というものはその人の「人格そのもの」で、古代では人の実名をみだりに呼ぶことは「タブー」でした。(*1) 現代の日本人は、英語などの影響もあり、タブーという感覚を自覚していませんが、実際の場面では確かにあまり名前を言っていません。今でもどこかで古代の感覚を引き継いでいるのでしょう。

・ 北米の先住民族(Native American)も、名前は個人の大切な持ち物(Property)であり、簡単には名前を呼ばせないという習慣がありました。

・ 昔のタイ、ビルマでも王様の名前をみだりに口にしたり書いたりしてはいけないということがありました。(*2) 日本と同じように、宮廷内の人は役職名で呼ばれていたようです。江戸時代の初めシャム(今のタイ)に日本人町ができ「山田長政」が住んでいたというのはよく知られていますが、当時のことを調べていた日本人学者が、シャムの高官の名前が役職名で表してあり、その上よく変わるので誰が誰だかわからず困った、という話を読んだことがあります。

・ 司馬遼太郎の『菜の花の沖』という本の中に、蝦夷の人も「儀礼感覚として、目上の人の実名を呼ぶことを避ける。実名を呼ぶことは相手の着衣を脱してその身を露にさせてしまうような失礼さを感じたに違いない。むろん、こういう感覚と習慣は和人にもある。」(*3)ということが書いてありました。

・ 同じく司馬遼太郎の『韃靼疾風録』には「女真では貴人の名を露わにすることは非礼とされている」とあります。(*4)モンゴルでも同じです。

・ 日本の万葉集の歌の中には、女性に対して「あなたの名前を教えてください」という意味の歌がありますが、これは求婚したことになり、女性が名前を教えたら「OK」ということになります。普通、女性の名前は軽々しく人に教えるものではなかったようです。(*5)

 

☆6 いつも何かのキモノを着ている - 裸の個人はない

 本名をなるべく言わないようにするためには、他の呼び方が必要で、その時の立場、役職名や他の何かで呼ぶことになるわけです。常に社会的地位や役職での「~としての私」が人とつきあっているので、その役割が相手によって変わると、その都度「お面(ペルソナル)」をつけかえます。村の社会の中で「~という役割の自分」、家の中で「父という役割の自分」、会社の中で「~という立場の自分」というように、所属グループがあっての自分であり、常にいろいろな「キモノ」を着ていて「裸の私個人」というものはありませんでした。「個人」対「個人」の対等な関係はほとんどなかったのです。

 

☆7 個人より、自然・村社会・所属場所が先にある

 日本の場合は、「やさしい偉大な自然」の中に「村社会」が先にあり、それは動きません。人は自然の中に生まれてくるのです。その中にあとから人が生まれてくるので、所属場所の方が先でした。「〇〇村」の「だれだれ」ということになります。 (*6)

 ではアメリカのように、すぐFirst name で呼び合うというのはなぜでしょう。欧米文化というものは、もともとキリスト教文化が今のイスラエルあたり(アラビア、中近東)から伝わってきたので、アラビア文化が元のことが多いのですが、ヨーロッパの社会(アラビア社会)は、個人の方が先、先に個人がいてその人間たちが集まって社会ができたということでしょうか。

極端な例として、アラビアの砂漠を渡ってゆく商人とか、アメリカ建国当時の西部劇に出てくる男のシーンを思い浮かべてみると、何となく想像できるような気がします。まず中心になるのは「自分」、頼れるのは自分しかいない。「厳しい自然」に打ち勝つ人間の方が中心なので「自分の名前」がまず「first」nameなのでしょう。(*7)

アラビア半島のさばくを行く商人
アメリカの西部劇に出てくるカウボーイ
 

ひとことで言うと

 古代、名前というものは「人格そのもの」で、触れてはならない神聖なものでした。特に偉い人は、その人の体に触れてはいけないように、名前も言ってはいけない。そのことが元にあって、現代でもなるべく名前を言わず役割名などで呼ぶことが多いのです。

 

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*1 『日本冒険 2』 梅原猛  角川書店  1989年

*2 『逆説の日本史 1』 井沢元彦 小学館 1993年

*3 『菜の花の沖 4』 司馬遼太郎 文藝春秋 1982年

*4 『韃靼疾風録』 司馬遼太郎 中公文庫 1991年

*5 『日本の女性名』 角田文衛 教育社 歴史新書 1985年

*6  所属場所の方が先なので、自分の住所や名前を紹介するときは、まず所属場所から「薩摩藩家老、小松帯刀」のように言い、今の時代なら「神奈川県横浜市 田中花子」のように、大きい所から少しずつ縮めていって、最後に「家の名前、自分自身の名前」になるわけです。

*7 『日本文化論』  石田英一郎 ちくま書房 ちくま文庫 1987年