・「もう、食べれない!」
・「明日5時に起きれるかな」
あなたはこの言い方 どう思いますか? 自然ですか? 抵抗がありますか?
今どきの若い者は何だ!こんな変な言い方をして! と怒る人は少なくなってきました。学校文法では未だに認められていないのですが、使っている人は50%を超えたそうです。40代以下ではほぼ全員自然に使っているでしょう。
☆1 5段活用(1グループ)の動詞(*1)
60~70年前には、5段活用の動詞について、「可能」の意味の時
・書かれる kak (ar) eru → 書ける kakeru
・読まれる yom (ar) eru → 読める yomeru
のように「ar」が省略されるように変化し始めました。
1950年代の文法書では「書ける」は間違いとなっており、最近の若い者は何だ!「書ける」などと言って!と怒る人がいました。しかし、今ではすっかり変わってしまったので、文法では仕方なく5段活用(1グループ)の可能形のために「可能動詞」という用語を作ったのです。
☆2 1段活用(2グループ)の動詞の場合は?
現在、進行中の変化は
・着られる kir (ar) eru → 着れる kireru
・食べられる taber (ar) eru → 食べれる tabereru
です。「ら」が抜けていると考えると見えてきませんが、「ar」が短縮されていると見れば、5段活用の動詞と同じ変化がおきているのです。もう20年もすれば、完全に短い形になるでしょうから、また新しい文法的説明方法を考え出さなければなりません。
☆3 なぜ?
なぜこのように変化してしまうのか、という理由としては、「~れる、~られる」は「尊敬」、「受け身」、「可能」など複数の意味があるので、できるだけ誤解されないように、わかりやすく「可能」だけに限定できるからだろうと言われています。
いま子供たちに、「くじら食べられる?」と言うと、「え?くじらに食べられちゃうの!」と「受け身」に感じるようです。
☆ もうひとつ
他にも「短縮省略」された例はいろいろあります。
・書かせる kakas (er) u → 書かす kakasu ( 使役の例 )
・注目せられる s (er) areru → 注目される sareru (「~する」の受身形 )
ひとことで言うと
5段活用 (1グループ) の動詞がもう変化し終わっている「短縮変化」を、いま1段活用(2グループ)の動詞がおそまきながら変化しているところです。 「ことばの乱れ」ではなく「ことばの変化」です。
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*1 新宿日本語学校では「5段活用」動詞という言い方は外国人学習者には難しいので「1グループ」動詞といい、「1段活用」を「2グループ」動詞と教えています。