初めに
日本語教師をしている間、外国人学生から日本についていろいろな質問を受けました。彼らの視点から見ると、私たちにとっては新鮮な疑問もあります。もともとこれは、日本についてはほとんど何も知らない外国人日本語学習者のための説明です。
☆1 マルコポーロの『東方見聞録』
日本のことが最初にヨーロッパに紹介されたのは、マルコ・ポーロ(1254~1324)の『東方見聞録』(*1)によってだと言われています。
マルコ・ポーロは、13世紀に東方貿易で繁栄していたベネチア共和国に生まれ、17歳の時、貿易商人の父と伯父と一緒にシルクロードを通り、らくだや馬でアジア大陸を横断、はるばる東方の中国へやってきました。
13世紀当時、モンゴル帝国の皇帝フビライは、中国を征服・統一し、国名を「元」と号し、領土拡大をはかって西は地中海に至るアジアの広大な地域を支配下においていました。東西交通を盛んにし諸国の事情に強い関心を持っていたフビライは、西の国からやってきたポーロ達を歓迎し、特に若いマルコは旅行リポーターとしての類まれな才能を認められて、未知の地方に派遣されては新奇な話題を豊富に持ち帰り、17年もの長い間フビライの宮廷に滞在しました。
帰りは船で南海航路をとり、数々の経験を経てベネチアに帰り着いた時、マルコ41歳。みんなに東方の信じられないような話をするので「ほらふきマルコ」と言われたこともありました。(*2)
13世紀の頃のヨーロッパでの先進国は、都市国家としてのベネチアとジェノバで、お互いに競いあっていました。マルコの帰国後、ベネチアはジェノバと交戦状態になり、マルコは志願して艦隊に乗って戦いましたが、捕えられ、ジェノバの牢獄に入れられてしまいました。捕囚生活の間に、それまでのメモなどをもとにして、東方で見たり聞いたりしたことを口述筆記でまとめたものが『マルコ・ポーロの旅 東方見聞録』になったのです。(1299年)
☆2 「ジパング」
その本の中で、マルコ自身が行ったのではないけれども、聞いた話として「チパングは、東のかた、大陸から1500マイルの大洋中にある、とても大きな島である」(*1、2巻のp130) その国では莫大な黄金を産し黄金の宮殿がある、と紹介しました。
「黄金の国」と言われていたのは全くの夢想ではなく、当時日本は世界有数の金産出国であり、奥州藤原氏の金色堂の話などが大陸との直接交易を通じて知られていたからです。それに、日本からの留学僧たちが留学費用として砂金を多く持って来ていたこともありました。
その「チパング、ジパング」から、ヨーロッパのことばではGiappone(伊)、Japon (仏)、 Japan(英)というような音になったというわけです。
☆3 なぜマルコ・ポーロは日本のことを「ジパング」というような音で表したのでしょうか?
漢字は中国のそれぞれの時代によって、地方によって、あるいは聞いた人によって、日本には様々な異なった発音のしかたが伝わり、1つの漢字に中国風読み方(音読み)が2つ3つあるのもめずらしくありません。
マルコ・ポーロには、「日」が「本日」の「じつ」のような音に聞こえ、彼が中国で聞いた音は ”Jipenkuo”(日本国)というような音だったからです。
ひとことで言うと
13世紀マルコ・ポーロによって「ジパング」というような音でヨーロッパに紹介されたからです。
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*1 『東方見聞録1、2』 愛宕(おたぎ)松男訳注 平凡社 東洋文庫 1971年
「ルイギ・フォスコーロ・ベネデットのイタリア語訳『マルコ・ポーロ旅行記』集成本を、アルド・リッチ(Aldo Ricci)が英訳した“The Travels of Marco Polo”」からの愛宕松男渾身の日本語訳
マルコも筆記した人もイタリア人ですが、その当時の古フランス語で書かれ、途中で散逸したりして、多くの異なった写本が残されているようです。
マルコ・ポーロの時代の前は、アジアの海までやって来ていたアラビア商人たちに、日本は「Waq waq(倭国)」と呼ばれていたという箇所もあります。(2巻のp133)
(*1)『完訳 東方見聞録(The Travel of Marco Polo1,2』 愛宕松男訳 平凡社ライブラリー 2000年 東洋文庫版を新しく読みやすくしたもの
マルコ・ポーロ(1254~1324)が旅行していたのは1271~1295年(17歳から41歳)、日本では鎌倉時代の北条氏の時代
*2 イタリア語の写本のタイトルが “Il Millione” だったこともありました。これは、マルコが大ハーンの偉大さを話す時など、なんでも大げさにMillione(100万)ということばを使ったので、「ほらふき」という意味で「なんでも100万(Il Millione)というマルコ」ということからです。 (『大航海時代』 森村宗冬 新紀元社 2003年 より)