☆1 「ハラキリ」というのは ?
武士が責任をとって自殺する時、腹を刀で横一文字に切って死ぬ方法。 源平争乱の頃から始まり、しだいに武士の死に方として一般化したと言われます。自分で腹を切るのは苦痛を伴うことから、自分の真心を人に示すことができる、名誉ある死と考えられるようになりました。
誰でもが「ハラキリ」できるわけではなく、上級武士にだけ許される特別な格の高い死に方ということにしたのです。切腹が許されない場合の死刑は斬首。
いずれにしても死刑なのだから、斬首でも同じことではないかと思われるかもしれませんが、他人に切られる斬首になるとただの罪人になり、「名誉」を重んじる武士にとっては大変不名誉なことだとされていました。
☆2 有名な切腹の話といえば
例えば、秀吉の「備中高松城の水攻め」(1582年)の時、城主、水野宗治は、家来たち全員の助命と引き換えに、自分は城の外、水上の小舟の上で、敵・味方みなが見守るなか切腹し、降伏の儀式としました。
あるいは「赤穂浪士」の、赤穂藩のお殿様は江戸城中で吉良上野介(きらこうづけのすけ)(*1)に切りかかったため切腹させられ、浪士たち47人は吉良の首を取ったあと、徳川幕府の命令で全員切腹ということになりました。白装束で身をかため、辞世の句などをよんで、格調高く死を迎えます。
実際には、腹を切るだけでは死ねないので、すぐその後、後ろに控えた介錯(かいしゃく)人が首を落としました。
敵将に切腹させる時などは、首を人に見せなければ死んだという確証にならないため、首をとるということは重要なことでした。
☆3 外国人には?
日本の「ハラキリ」が外国人に知られるようになったのは、幕末、日本にいた外国人たちと日本人との衝突があった時、その責任をとるため武士たちが外国人の目の前で切腹したことからです。
1868年1月3日(慶応3年12月9日)「神戸事件」が起こりました。
事件は、神戸を通過中の備前岡山藩の隊列の先頭を外国人が横切ろうとしたので、隊長が手で制したら、その外国人は引き下がったのですが、別の外国人がピストルを手にして隊列の前を走り抜けたという、当時たまにありえたことでした。
第三隊長の滝善三郎は怒ってあとを追いかけ、槍でその男の腰のあたりを突きました。男はピストルを発射しながら逃げ日本側も発砲し、これがもとで英、米、蘭、仏の軍隊が日本側に向かって発砲するという騒ぎになってしまいました。
そのあとは、日本側と外国人側との話し合いによって、滝善三郎が各国公使の前で切腹するという条件で落ち着き、滝は1か月後各国公使の前で切腹しました。
この事件は、事件の内容よりも、「切腹」という日本人的な決着方法が神戸在住の諸外国公使たちを驚かせました。切腹の立ち合いを命ぜられた人たちは、その凄惨なありさまを見て気を失った人もいました。 (*2)
1868年2月15日には堺で、フランス軍艦から上陸したばかりの水平たち11人が、物珍し気に彼らを取り囲んだ子供たちにパンを分け与えていたら、そこへいきなり土佐藩の武士たち20人が切りかかり、丸腰の水兵11人全員が殺されました。そのころは攘夷をさけぶ浪士たちが多かったのです。
その責任をとって20人の武士が、艦長たちの立ち合いのもと切腹することになりました。11人が1人づつ次々と腹を切った時、艦長がもうよいからやめてくれと叫び、結局そのあとは中止になったということです。 (*2)
これらのことで日本の「ハラキリ」の話が外国人の間に広まりました。
それにしても、当時のヨーロッパでの死刑は、銃殺か絞首刑でしたが、日本では「なぜ、腹を切る?」と外国人は不思議に思います。
☆4 「 ハラキリ」と魚
私の夫は魚釣りが趣味で、若い頃はよく休みの日に、魚を釣って帰りました。私は「鯛茶づけ」が大好きなので、「鯛をおろして(さばいて)」お刺身のように切り、鯛茶づけにしていました。
以前、石田英一郎さんの『日本文化論』の中に「日本は様々なものを外国から取り入れたが、入らなかったものもある。その1つが宦官制度である。」と書いてありました。
中国での宦官というのは、例えば明の時代には、絶対権力を持った皇帝のそばに仕えていたので、国の政治を左右するほどの絶大な権力を持つ地位にまで登ったこともありました。それほど重大な制度だったのです。
ある時、どうして「宦官制度」は中国から日本に入って来なかったのだろうと考えながら、次々小さい鯛のおなかを切り、頭をおとしていましたら、突然、「あ! 切腹は魚のおろし方からきているのか!」と思い当たりました。まさに、おなかをグイと切りさいて、頭を切り落とすではありませんか。
慣れていない人が見たら、ずいぶん残酷なことをしていると思うでしょうか。
☆5 「宦官(かんがん)」の習慣
宦官は、古来多くの牧畜地域に存在しており(*3)、身近な動物との関係の中でできた牧畜文化の習慣です。
家畜を去勢するというのは、植物文化の我々から見ると、人間が動物を管理しやすいように、全く人間の都合で他種族の雄の機能をなくしてしまうのですから、人間の傲慢の極みのように思えます。 しかし、 牧畜社会では動物との力のつばぜり合いの中で、やむにやまれぬ必要性から生まれたのでしょう。
テレビで、アメリカの牧場の光景を見た時は驚きました。牛が一頭通れるほどの狭い通路のようになっている柵の中に、1頭づつ牛が次から次へと送り込まれ、10秒おきくらいにカチャン、カチャンと、いとも簡単に去勢されていました。これが牧畜の世界!
☆6 身近な動物に対する習慣を人間にも応用?
英語を習い始めた時、牛の中でも、雄牛はbull、去勢牛は ox などと教えられましたが、「去勢牛」とは何のことか全くわからないほど、日本人は「去勢」ということに無知です。日本では、牧畜の知識も技術もなかったのですから、宦官制度が日本に入らなかったのは当然のことでした。
牧畜文化圏では、家畜の牛の名前が bull, ox, cow, bullock など、くわしく分かれているように、日本では魚の名前が、「わかし、いなだ、わらさ、はまち、ぶり」など年令によって細かく区別されていたりして、海岸部の人たちにとって魚は大変身近な存在です。
東北や北陸地方では、魚を天井からつるして干す時、「魚の腹を切って頭の方からつるすと切腹して首をつるということになり、よくないので、尾の方からつるすのだ」と土地の人が説明しているのを聞いたことがあります。漁村の人たちに聞けば、「切腹が魚のさばき方からきているのは当たり前じゃないか」と、笑われるかもしれません。
☆7 イメージアップ
最初は魚からの発想だったものが、江戸時代、勇気を見せたい武士の自決法として定着しました。さらに儀式化して格好をつけたかったので、呼び方も「やまとことば」の「ハラキリ」ではなく、漢字語読み(音読み)の「切腹 (セップク)」にしました。
全く同じ意味ですが「ハラキリ」というと、生活に密着した日常語なので直接的ではっきりわかりすぎます。「セップク」と音読みにすると、音が意味と微妙に離れ、抽象的、高級感覚になるのでイメージが良くなります。 (*4)
武士の儀式は、自殺式でも格調高くあるべきだという誇りがありました。
☆8 「切腹は魚のおろし方からきていると思いますが・・・」
と私の「発見」を言うと、ほとんどの人には一笑に付されてしまいます。もっとも、最近では魚を1匹丸のままから自分の手で料理する人が少ないので、実感がとらえにくいとは思いますが・・・
というより、「切腹」を武士の格式ある儀式にまでイメージを高めることに成功したのだから、絶対に魚のおろし方などと結びつけてほしくない、という思いが強いのでしょう。
ひとことで言うと
「ハラキリ」は、生活に密着した魚のおろし方 ― おなかを切って頭を切り落とす ― から思いついて始まった習慣(だと私は確信しているのですが・・・)。
――― ( * ) ―――
*1 吉良上野介の「上野」介を「こうづけ」のすけ、と読むのは、「15.『中国地方』はなぜ『中国』?」の*3を参照
*2 『孤愁 サウダーデ』 新田次郎 & 藤原正彦 文藝春秋 2012年
*3 イスラム以前のペルシャ王宮にも、古代エジプト、メソポタミアの王宮にも、東ローマ帝国のビザンチン帝国の王宮も、インドのムガール朝、中国にも、宦官制度はありました。アジアの牧畜民族は、動物の雄を去勢する知識を牧畜技術として持っていたのです。
『日本文化論』 石田英一郎 筑摩書房 1969、 ちくま文庫 1987
*4 「やまとことば」と「漢字語」については「カテゴリー ことば」の中の「25. お受験という言葉はなぜおかしい? やまとことばと漢字語」参照